代表インタビューTOP INTERVIEW

関わる人すべてが「幸せ」を体感できる会社を目指して
関わる人すべてが「幸せ」を体感できる会社を目指して

入社も代表取締役就任も
突然の出来事

―― 岡社長がオカフーズに入社されたのが2003年。それまでの間、大学卒業後は海外に留学されたり、別の会社に就職されたりしていましたが、いずれオカフーズでお父様の後を継がれることも考えていたのでしょうか。

あまり考えていなかったですね。というのも、父とは親子としては非常に良好な関係でしたが、それが仕事となると性格的に合わないような気がしていたので。食べるのに困ったらお世話になるかな……くらいの気持ちでした。また、私個人としても、もともと海外に出たいという願望があり、就職先も商社や旅行会社がいいなと思っていたんです。実際、留学から帰ってきてからは輸入食品を扱う会社で働いたり、さらに中国語を取得するために上海に留学したり。上海ではそのまま日系商社の上海支店で働くことが決まっていたのですが、その矢先に次期後継者とされていた当時の専務取締役が病気のため急逝してしまい、急遽私が戻ることになりました。

―― 次期後継者として戻られたのですか?

そんなことはまったくなく、会社が大変そうだから戻ろうかなって。まずは一社員として入社し、国内の仕入れを担当するところから始め、その後は海外からの原料調達や生産管理、商品のブランディングなど、さまざまな仕事を経験しました。その間に役職も少しずつ上がっていき、専務に就任してからはベトナムの工場の立ち上げや上海の現地法人の販売活動といったことも行っていました。

―― お父様の後を継ぐことを意識されたのはいつ頃だったのでしょうか。

実際に社長に就任する直前まで、いずれ引き継ぐにしても当分先のことだろうと思っていました。私が代表取締役社長に就任したのが2011年8月なのですが、その話が出たのも2011年に入ってからだったんです。それも、当時の副社長が引退するにあたり、『自分が引退する前に岡を社長に就任させたい』と突然言い始めたのがきっかけで。私にとってはもちろん、父にとっても青天の霹靂で、特に父は大反対していました。でも結局、副社長の強い希望に押し切られる形で、私が社長に、父が会長に就任することになりました。

オカフーズ人生の中でも一番辛かった社長就任直後

オカフーズ人生の中でも一番辛かった社長就任直後

―― 先ほど、お父様とは親子としては良好だけど、仕事になったら合わないかもしれないと話されていましたが、社長就任後の関係はいかがでしたか?

経営理念である『ステークホルダーの役に立つ』という考えにおいては一致していましたし、当初は先代の戦略的かつ合理的に会社を経営していくやり方についても、それが当たり前だと思っていたので目立った軋轢はありませんでした。ただ、私の胸中はというと、何としてでも成果を出さなければいけないという焦りがありました。特に自分が代表になって初年度となる2012年は、急に円安になった影響で業績が悪化してしまって。徐々に先代とぶつかることが増えただけでなく、何をしても社長である私が悪いと攻められることばかり。この時期は私のオカフーズ人生の中でも一番辛かったかもしれませんね。

―― 当時のご自身の働きぶりについて、どう感じられていますか?

正直ひどかったと思います。極端な話をすれば、当時はすべての人を敵だと思っていましたから。なので、本来であれば社長の業務ではない、原価や売価、利益率などのチェックも毎日欠かさず行い、少しでも上下すると担当社員に説明を求めたり、原料買い付けの決済も自分で行うなど、社内の人間を信じることができていませんでした。うまくいかないことを環境や社員のせいにしていたので、一緒に働く社員たちは働きにくかったと思います。その一方で、自分自身でもこの状況をどうにかしなければと思い、思い悩んでいた時期ではありますね。

―― 状況を打破するために試みたことはありましたか?

先代が割とワンマンだったので、そうではない、和気あいあいとした組織を目指すなど、いろいろなことを試しましたが結局うまくいきませんでした。このままだとダメだ、何とかしなくてはと思っていたときに、たまたまコンサルタントさんから一倉定さんの『経営心得』という本を紹介されたんです。その本との出会いが大きかったですね。

『経営心得』との出会いがすべてを変えた

―― どのようなインパクトがあったのでしょうか。

一倉定さんって、中小企業のコンサルとして伝説の方なのですが、その本に書かれていた内容は、それまで自分がいいと思ってやっていたこととほぼ真逆のことばかりでした。それこそ、先ほどの和気あいあいとした組織作りも、その本の中では“中小企業にはワンマンしかない”と。ほかにも、“あるのはいい会社か悪い会社かではなく、いい社長か悪い社長かだけだ” “電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、社長の責任だ”など、それまで思ってもみなかったことが書かれていたのが衝撃でしたね。

―― 一般的な経営論ともちょっと違いますね。

そうですね。最初に手にしたのは簡易版の本だったので、その後、自分で全シリーズを買って隅々まで読み込みました。そしたら、“責任の明確化は無責任社員を生む”とも書いてあって、当時私がやっていた、売上げについて社員に説明を求めるといったようなことも、中小企業の社長としては間違っていたんだな、と。それで、もしかしたら、この本に書いてあることを実践したらよくなるかもしれなという気持ちになったんです。

―― とはいえ、それまで自分がやってきたことと真逆の方向に舵を切るのは怖くありませんでしたか?

そこはやっぱり、会社をよくしたいという想いのほうが強かったので。“あるのはいい会社か悪い会社かではなく、いい社長か悪い社長かだけだ”と言われたら、いい社長になるしかないじゃないですか。そのためにも、この本に書いてあることを自ら実践し、それでダメなら諦めようと覚悟を決めました。

孤立無援の状態からスタートした環境整備

孤立無援の状態からスタートした環境整備

―― 具体的にどのようなことから手を付けましたか?

本の中で経営の三種の神器として挙げられていた、『社長のお客様訪問』『経営計画書の策定』『環境整備』を同時に始めました。なかでも環境整備を始めたときは、社内の反対というか、どうして?という雰囲気が強かったですね。というのも、この活動を始めた2012年12月は、特に業績が一番苦しい時期で。普通なら1軒でも多く営業先を回るべきなのに、朝の30分を使って環境整備をしろと言うのだから、社員たちがそう思うのも当然です。実際、最初の頃は、とりあえず形だけの社員もいましたし、朝礼が終わったらすぐに営業に出てしまい、環境整備をやらない社員もいました。そのため、同時並行で進めていた会社の経営方針を示す『方針手帳』には、“環境整備はすべての業務よりも優先すること”と明記し、絶対にパスできないようにしました。

―― 環境整備とは具体的にどんなことをするのですか?

机やフロアの掃除はもちろん、デスクトップのファイルの整理、ソフトのアップデートなど、常に最善の形で業務にあたれる環境を整える目的のものなら何でも含まれます。実は、全社員に導入する前に私1人で試したのですが、社内をよく見てみると、電話線のコードや机と机の間、机の裏側がとにかく汚くて。それらを全員分掃除していたら、終わるまでに2、3か月掛かりました。自分がやり続けることで、社員たちも続いてくれるかなと思ったのですが、誰1人現れなくて。それならと、強制的に全社員一斉に行うことにしたんです。

―― 社員からの理解を得られなかった環境整備も、岡社長の中では何か手応えを感じていたのでしょうか。

確かに気持ち的な変化はあったのですが、それがどういう成果に繋がるかまではわからず、当時はとにかく続けようという気持ちだけでした。スタートから1年ほど経つと、社員も諦めたのか、しぶしぶながらもやるようになりましたが、まだまだ不満に思っている人も少なくなかったですね。そんな感じが3年くらい続いたと思います。

―― 3年は長いですね。

そうですよね。社内の理解がなかなか得られなかったので、2013年の年末にベトナムに新工場ができたのを機に、そこでも環境整備を導入することにしました。最初はやはり猛反対を受けたのですが、現地の社長が理解のある人で、岡が言うならと導入を決めてくれました。その後、中国の工場も紆余曲折ありながらも導入してくれて、今では環境整備をやってよかったと言ってくれています。私たちの環境整備は、社長がトイレ掃除をすることが決まりなんです。特に向こうは社長と従業員の差が大きく、それによる確執もあったのですが、社長自らがトイレ掃除をすることによって相互理解が深まり、社内不和がなくなっていくような変化がありました。そうしているうちに、オカフーズの社内にも少しずつ環境整備が浸透していった感じです。

―― 浸透していった理由は何だと思いますか?

まずは私に環境整備を止める気配がないというところで、社員たちも諦めたのが大きいでしょうね。また、社内の環境整備だけではあまりブレイクスルーが見られなかったので、月に1度会社や最寄り駅周辺を社員たちと掃除をする地域貢献の取り組みも行いました。そして、徐々に業績が上がったり、社内の環境だけでなく、雰囲気がよくなるといった変化が見え始めたことで、環境整備の意味というのが浸透していったんだと思います。

社員が持つのは責任感のみ。責任は社長が背負う

―― 先ほど、“中小企業はワンマンしかない”という言葉に衝撃を受けたとお話しされていましたが、それに関しては何か変革をされたのですか?

一倉定さんの『経営心得』に書いてあったワンマンとは、権力を持つことではなく、決定と責任は社長が担うべきということでした。社員が持つのは責任感のみだ、と。以前はミスが起きたら誰の責任かを突き止め、それを正すといった風潮があったんですけど、仮に社員の誰かが経済的損失を出したとしても、その分を負担してもらうわけにはいきません。本当の意味での責任が取れるのは社長だけ。なので、それからは社員に対して責任という言葉を使うのはやめ、責任感を持って仕事をしてほしいと伝えています。

―― このほかにも、現在は岡社長自身がCHO(最高健康責任者)と名乗り、社員のみなさんの健康を考えた経営方針を打ち出していますね。

そうですね。もともと私自身が終電まで仕事をしたり、体調が悪くても無理して会社に来るといった働き方をしていました。けれども、社長に就任して社員たちの様子をよく見ると、正々堂々と休みを取るのは熱が出たとか、インフルエンザになったといった病気のときだけ。それで社内に何が起きるかというと、急に休まれるので現場が混乱するんです。であれば、健康を維持できる働き方や、計画的に休んでもらうようにしたほうが、社員にとっても、会社にとってもいいなと思って。すべての業務の見直しや改善をし、定時退社や平日5日間の連続休暇制度のほか、スポーツクラブや健康診断の費用補助、インフルエンザの予防接種の半義務化などを導入。会社が継続的に成長するためには、社員の心と身体の健康が一番大切ですから。

関わる人すべてが“幸せ”を体感できる会社を目指して

関わる人すべてが“幸せ”を体感できる会社を目指して

―― 社長に就任されて10年。環境整備活動を始めた頃に思い描いた会社になったと思われますか?

環境整備の効果は思った以上でした。始めた当初は、現在、勉強会として月に1度開催している『岡塾』や、社内の改善を行う『FISH活動』などもまったく考えていなかったので。さらに、この会社のことが好きだという社員も増えたと思いますね。実は、私が就任した当時は人を雇ってもすぐに辞めてしまい、常に人手不足だったんです。そこには働き方や社内の人間関係などいろいろな問題があったと思うのですが、1人採用するだけでも時間やコストが少なからず掛かるので、まずは定着率を上げることを意識しました。そのためにいい会社に、いい社長になろうと思って始めた活動の一つが、環境整備だったんです。その結果、新入社員の定着率が上がったほか、産休・育休の女子社員もほぼ100%復職するまでに。それだけでなく、自主性を持って仕事に取り組む社員がどんどん増えていき、『ステークホルダーの役に立つ』という経営理念をこれまで以上に実現できるようになりました。ですから、環境整備はすべての原点だと思います。

―― その間、先代との関係性にも何か変化がありましたか?

父は私が環境整備を始めたときも大反対でしたし、その後も週に1度は大喧嘩し、2か月に1度はどちらが代表を退くかという言い争いになるほど関係が悪化した時期もありました。でも、今思い返すと、8割は私が悪かったと思います。当時は『絶対に父よりも自分のほうが正しいはずだ』と思い込んでいましたが、今は自分が間違っていたと思うこともありますし、父がなぜああいうことを言ったのか、当時の父の気持ちも理解できます。ぎくしゃくした関係が数年続いた後、父が取締役会長を退き、名誉会長に就任した2015年頃からは少しずつ関係も良好になっていきました。そして、昨年の株主総会で初めて『よく頑張ったな』と労いの言葉を掛けてもらったのは素直にうれしかったですね。

―― 社員のため、会社のため、ひいては世の中のために、さまざまな変革に取り組まれてきた岡社長が、今後目指すビジョンとは何でしょうか。

最近、社員たちともよく話すのが、“幸せ”についてなんです。それも、『成功したい』とか『幸せになりたい』ではなく、『どうしたら、みんなが幸せな成功者になれるか』ということ。“利他”というと、社員のやる気や働きを搾取するようなものになるので、社内では“自己中心的利他”として、いっぱい稼いで、いっぱい使うというのがキーワードになっています。

―― 今の時代にもっとも求められる会社の在り方というか、最先端の考え方だと思います。

それはきっと、私自身が真逆の経験をしているからだと思いますね。一昔前だと、自分がした辛い経験を、後に続く者も経験するべきという考えが根強かったと思うのですが、決して辛いことを経験した先に幸せがあるわけではないので。経験しても意味がないというのが私の考え方。会社が成長していくためには、どうしたら自分たちが目指すところに辿り着けるのかを、全員でシェアするほうが近道ではないかと思いながら実践しています。さらに、私は今年で47歳ですが、50歳になったらオカフーズの社長は退任すると決めているんです。というのも、ある程度長く続けていると、どうしても革新性がなくなってきます。それに、何より居心地がいい。辞めない理由はいくらでもあるので、居座り続けてしまうのを避けるために区切りを決めました。それまでの間に新規事業を立ち上げるなど、会社が末永く継続するための土台作りをするのが私の役割だと思っています。

ステークホルダーの皆様から見るオカフーズ

日頃から親交の深いステークホルダーの皆様に
オカフーズ岡社長へのメッセージをお寄せいただきました。

  • 宮﨑 欽治 様

    問屋パートナー様ニッショク株式会社

    代表取締役社長宮﨑 欽治 様KINJI MIYAZAKI

    「岡社長には、”サムライとしての生き方”を感じます」

  • 渡辺 幹夫 様

    仕入れ先パートナー様大勝フーズ株式会社

    代表取締役社長渡辺 幹夫 様MIKIO WATANABE

    「水産業界をリードして固定概念を崩していけるような取り組みをしていきたいです」

  • PHAM VAN QUANG 様

    専門工場(ファミリー)様QUANG HIEU FOODS COMPANY LIMITED

    代表取締役社長PHAM VAN QUANG 様PHAM VAN QUANG

    「QUANG HIEUとオカフーズで一緒に発展、成長をしていきたいです」

  • 小田島 剛明

    オカフーズ社員

    小田島 剛明TAKEAKI ODAJIMA

    「社長と一緒に、オカフーズの社員、社員の家族が「幸せ」となるように働きかけをしたい」

Let's work together and get this done!
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ニッショク株式会社 代表取締役社長宮﨑 欽治 様

今、岡 孝行社長に対し、私が思うこと

私が初めて岡社長に会ったのが6年前、無口でひ弱そうな社長に見えたことは、今でも鮮明に覚えています。当時は、私がとても怖かったそうです。
その後は、おおよそ半年に1回は当社に訪問、当社のノウハウ、そして、私の言っている仕事のポイント、事業のポイント、あるいはメーカーとしてのポイントを貪欲に吸収していかれたような気がします。
枝取締役が、私に対し、「社長が富山のニッショクさんに行って帰ってこられると必ず新しいことをやらざるを得なくなるので、大変なんですよ」と言っておられましたが、岡社長、ならびに㈱オカフーズ様が伸びていく、あるいは変化していく最大の原因は、岡社長の 「実行力」にあると私は思っています。
いいものがあると即真似る、いいことは即取り入れる。「素直さ」 と「謙虚さ」、そして 「会社を良くしたい!」「社員を幸福にしたい!」といった思いがない限り、できない芸当です。
ある時 いつもの如く、会社に来られ、いろんな話をしながら県内を回り、帰りの北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅の近くに来た時、いきなり「社長! 徹底力を教えて下さい」という岡社長。私もこんなことを言ってこられる社長もいないことからビックリ、思わず「なるまでやることだよ」と言ったことを今でもしっかり覚えています。
私が岡社長、そしてクワン社長をものすごく身近に感じ始めたのは、ベトナム工場で喋って
くれと言われてベトナムへ行って以来です。
岡社長とクワン社長に、とことん尽くしてもらったこともありますが、二人の信頼関係を見て、二人にはとことん協力していきたいと思いました。
私も一緒ですが、今、岡社長に感じるのは、「サムライ(侍)」です。別の言い方をすれば、 「サムライとしての生き方」を感じます。
「これが本来の商売だ!」「これが本来の仕事だ!」「これが本来の会社だ!」「これが本来の会社経営だ!」「これが本来の人間の姿だ!」という具合に自分が経営する会社や自分の行き方を手段に「世直しをしよう」「業界の手本になろう」としているような気がします。
正しさを追究すればするほど、今の世の中においては「変人」「変わり者」として扱われます。
「変人」「変わり者」と呼ばれる最大の理由は、多くの人が「お金」を追いかけるのに対し、お金を追いかけず、ひたすら「自身の価値」、あるいは「会社の価値」を追いかけていることにあります。
「自身の価値」「会社の価値」を高めれば、自然にお金が寄ってくるのにもかかわらず、多くの人は「自身の価値」「会社の価値」を高めずに「お金」を得ようとします。私にすれば、そちらの方がよほど「変人」「変わり者」と言いたくなります。
「何事も正しくないとうまくいかない」ということを私と同様に、過去の失敗から岡社長は、しっかり学ばれたように感じます。
岡社長は、実行力があることから「何事もやってみる」「やってみてダメだったらやめる」 というタイプで体験学から物事を判断される人間のような気がします。
しっかりと地に足がついた形、つまり論理的に会社経営をされ、「何とかなるさ」といった形で会社経営をされてはいないはずです。
コロナ禍ということもありますが、今は完全に日本は少子・高齢化の時代で、食品業界は発展期というよりも衰退期の時代を迎えているように感じています。が故に、何事においても
本物、本来のもの、正しいものでない限り、通用しない時代に突入したと私は考えています。
そういう意味では、当社もですが、岡社長、ならびに㈱オカフーズ様にとっては、今が絶好のチャンスです。
私達は、地球に住み、日本に住み、食品業界に住み、社員であれば会社に住み、更に言えば、自分の家に住み、自分という肉体と精神の中に住んでいます。
にも関わらず、地球をダメにし、日本をダメにし、食品業界をダメにし、そして会社をダメにし、自分の家をダメにし、更に言えば、自分自身をダメにしている人がいるような気がします。
私達は、人を喜ばす為に生まれ、人に役立つ為に生まれ、自身の価値を世間に認めてもらう為に生まれ、そして人に愛される為に生まれ、幸福になる為に生まれたはずです。
私は、このことを素直に受け入れて生きていきたいと思っています。
そういう意味では、㈱オカフーズ 岡社長は、私にとっては「同志」であり「仲間」です。
㈱オカフーズ様の発展と岡社長、ならびに社員の皆様のご多幸と健康を願って、執筆を終えさせていただきます。

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大勝フーズ株式会社 代表取締役社長渡辺 幹夫 様

水産業界をリードして固定概念を崩していけるような
取り組みをしていきたいです

オカフーズさんは魚屋さんなのに魚屋さんらしくない…そういった意味では水産業界を飛び出して、「魚」に興味のない人にまで注目されるような存在に見えています。
常に社会貢献や地域貢献をしっかりと見据えながら、経済的な部分の追及も行っており、「会社」として存続できるよう未来を見ているように感じます。

岡社長はとにかく太っ腹!甘えさせ上手!
関わらさせていただく中で、私もたくさん甘えさせてもらっています。仕入れ先、取引先といった枠を超えたところで「甘えさせる」といったことができ、多くの人が毎日嬉しい気持ちで過ごせるようにしてくれるところ、が岡社長の好きなところです。
私の会社でもそういった文化を形成し、同じようなことが、会社の中や取引先だけでなく多くの人々にできるようにしていきたいと思っています。会社という組織の枠を超えたところでこういったことができることに尊敬し、私自身もそういった人間になりたいです。

岡社長が何気なく行っていること、「甘えさせること」はできそうでできないんです。
会社の中でオカフーズさんと同じようなことをやりたいとは思うのですが、なかなか現実的ではなく、岡社長の「実行力」はすごいなと思っています。

「私が質問することに対してすべてに【答え】を持っているんです。」

会社のことで悩んだことを話すと、「僕も考えたことがあります」と共感していただき、そしてお話を聞いていると的を射ていることが多いです。
今、私が悩んでいることは岡社長の過去のどこかで経験され、いい意味でもたくさんご苦労なさって、たくさんのシミュレーションをされているのかなと。
いろいろなこと(会社のこと・経営のこと・家族のこと)を考える、そして考えなければならないタイミングが多くあったのだと思います。
きっとこの経験がないと、「やる!」を決断するのは難しいのかなと思います。

岡社長はどちらにも偏らない考え方を持っていらっしゃる感じがして、一緒にお話をしているとすごく腑に落ちることが多いんです。
私が思う「答え」に対して10人中8人くらいが違うことを言っていても、岡社長とは「やっぱりそうですよね」となることが多く、答え合わせをしに来ているような感覚です。岡社長が以前「変人を目指します」と記事で書かれていましたが、そういった意味ではわたしには変化球よりも「どストレート」を投げているように思います。

これからも常に新しいアイディアを紹介していただいている中で、進化している社長を見せていただきたいです!
また新しい岡社長を見せてください。楽しみにしています。

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QUANG HIEU FOODS COMPANY LIMITED 代表取締役社長PHAM VAN QUANG 様

QUANG HIEUとオカフーズで一緒に
発展、成長をしていきたいです

オカフーズさんも私の会社も「食品メーカー」なのでお互い1番大切にしていることは【安心・安全】をユーザー様にお届けすることだと考えています。
また、安心・安全な商品をお届けすることで、ご一緒に【幸せ】も届けたいと常に想っています。
ユーザー様に弊社で作った商品を調理していただき、喫食者の方に召し上がっていただく。喫食者の方の“笑顔”で「幸せ」を感じてもらえることが私たちの喜びです。
そのためにも弊社とオカフーズさんと一緒に【安心・安全】な商品を第一に、そして美味しい商品をお届けできるよう、日々切磋琢磨していかなければなりません。
そして、大切にしたいことはユーザー様だけでなく、弊社の社員も含めたステークホルダー全体に「幸せ」を与えることです。社員にも仕事を通じて「幸せ」を感じてもらえるよう働きやすさ、そして働きがいのある会社を目指しています。

「仕入先やお客様の関係性を超えた「家族」の関係性」
岡社長はオカフーズの“文化”を社員たちに伝える活動を積極的に行っています。
その行動はオカフーズさんの会社の中だけでなく、私の会社でも広まり、そしてステークホルダー全体に伝わっているのではないかと思います。
その文化とは交渉や値段で仕入れ先やお客様を決めるのではなくて、「信頼関係」で仕事を大切にしていることです。信頼関係があることでお互いが長期的な取り組みをすることができますし、良い関係性でお付き合いをすることができます。
私も岡社長にお会いできてラッキーだと思っています。今では大切なFriendです。

「「やりきる!」力を持っている岡社長が大好きです」
岡社長の好きなところはとにかく頭がいいところ・優しいところ・心が広いところなど、たくさんあるのですが、一番尊敬していることはやりたいことを「やりきる!」ということです。
未来の結果を普通の人は見ることができませんが、岡社長は結果を先に見れる頭の良さを持っており、そして、この結果が【正しい】と信じてやり続ける力を兼ね備えていると思います。まさにやったらわかるの精神ですね。
8年前のクアンヒュー工場が建設されたときに「15分の環境整備」を岡社長よりお願いをされました。当時私は仕事を15分止めてしまったらと15分の生産が止まってしまい生産性が悪いと考えました。
しかし岡社長は絶対に生産性があがると断言し「環境整備」をやるように私にお願いをしてきたため、私も岡社長を信じて環境整備をやり切り、今では私もやってよかったと感じています。

これからも岡社長を「信じて」ステークホルダーの皆様へ幸せをお届けできるようにしていきたいと思っています。
ありがとうございました。

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オカフーズ社員小田島 剛明

社長と一緒に、オカフーズの社員、
社員の家族が「幸せ」となるように働きかけをしたい

私が岡社長と出会ったのは2012年8月採用面接。
『オカフーズでいろいろな事に挑戦をしてみないか?』
当時、人生や仕事に対して色々考える分岐点に立っていた私はこの言葉が今でも忘れられません。

オカフーズに入社してから営業部に所属している私は、
・岡社長の「真面目」で「真摯」な態度をもっと広めたい。
・会社の魅力を発信していきたい。
という想いで岡社長の事をお客様に知ってもらう活動を意識して行動をしてきました。
営業を通じて、お客様を知ることが出来る、お役に立てるヒントをもらえる。等様々な学びを得ることが出来ました。改めて岡社長は本当に真摯だ!と感じております。

私が感じた岡社長にスイッチが入った瞬間について。
環境整備活動が社員の中で普通の活動になってきた時とFISH活動による日々改善意識が高まってきた時に「凡事徹底」・「価値」について有意識で行動していると感じた事があります。今思えば、ニッショク宮﨑社長様との出会いがきっかけの一つだったと感じています。

「仕事をして物心両面での幸せを追求する方が令和の時代に合った働き方」だと岡社長は仰っており、働き甲斐のある仕事をして、人としての価値、会社の価値を高めることによって『幸せ』を求めていけるような人財をもっと増やしていけるように私も手助けしたいと思うようになりました。

『社長の想いや考えを受け継げるように努力します』

岡社長が社員に対して働き甲斐(人としての価値)を仕事の場として提供してくれるので
私たちは日々自分の価値を高める事やMikey(マインド+気づき)を意識した活動に注力する事が出来ていると感じます。

私も岡社長の姿を追いかけ【ステークホルダーの役に立つ】事に注力し、ステークホルダーの皆さんがオカフーズ(マイキー)愛を高めてもらい、社員が毎日笑顔で仕事が出来るように社長の分身となれるように(想いや考えを受け継げるように)頑張ります。

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